論語 まとめ その一
先日NHKで数回にわたって論語の特集していたのでまとめました。
今回はその第一回目。
このブログのテーマの一つにある「知って徳する論語」
これを書き始めたのが去年の5月なわけですが、
これは人間の”3つの大病”の一つといわれている、
↓
「金持ちになりたい」病
「偉くなりたい」病
「有名になりたい」病
でもですね、それらを孔子は完全否定してはおらず、
まず最初の、金持ちになりたい病に関しては、
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」
(くんしはぎにさとり、しょうじんはりにさとる)
お金よりも正義なんだと金銭欲を否定する一方で、
「富にして求むべくんば、執鞭の士と雖いども吾れ亦たこれを為さん」
(とみにしてもとむべくんば、しつべんのしといえども われまたこれをなさん)
お金で自分の理想が叶うならば下っ端に就いてでもお金をかせぐ、とも説いている。
次に、出世欲(偉くなりたい病)についても、
ケチな人間は出世できなければ愚痴ばかり。かといって出世すれば地位にしがみつこうと同僚をけ落とし悪さもしかねない、と否定している。
しかしその一方で、例えば自分を首相の地位に就けてくれれば国を立派にしてみせる、と出世を否定せず自分を買ってくれる人がいるならば積極的に前に出る姿勢を肯定している。
そして、有名になりたい病については
「人知らずして憤らず、亦た君子ならずや」
(ひとしらずしていきどおらず またくんしならずや)
世間が自分の才能を認めてくれなくても、なんとも思わない。縁の下の力持ちが立派な人間の態度だ。
これに対し、40,50にして世間に名が知られていないのは大人(たいじん)とはいえない、と出世欲を肯定している。
というように、3つの大病を肯定しているのには実は真意があり、それを表している論語が
「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば処らざるなり。」
(とみとたっときとは、これひとのほっするところなり そのみちをもってこれをえざればおらざるなり)
お金と出世欲を人間は欲するものである。 大切なのはその正しい方法によって得るのでなければならない。つまり目的のための手段が正しくあればよいというもの。
そしてその手段のすべては、恕(じょ)=思いやりの精神でもって行うものである。
では思いやりは誰に向けられるものですかと問われれば、自分の周辺の人という答えが返ってくるのが普通ですが、
ここでは、まず自分に向けます。自分を思いやる、という自己愛として。
もちろん、自分を甘やかすことではなく、例えば、すぐに私には無理、できないと言うセリフはよく耳にします。大人でも子供でも。
最初から諦めることは自分で自分を見限っている。そこには自分に対する甘やかしがありそれは自己愛ではないと。
自分への思いやりがあって初めて周りにも思いやりができるという、
突き詰めれば、自分を愛せない人が他人を愛せるはずもない、ということです。
つづく