子どもの中に科学は存在しない。by映画「奇跡」

是枝裕和監督の「奇跡」を観ました。新作レンタル中です。


是枝監督はもう有名な監督ですよね。「ワンダフルライフ」「誰も知らない」「歩いても歩いても」などなど、数々の名作を生み出しています。


主人公は小学6年生。もう自我が芽生え始め、大人のようにいろんなことに苛立ちを感じる年頃。大人の階段を上り始める、そんな年頃の目線で大人の世界を客観的に観ることができる、そんな映画。


まあこれも、先日も言っていたように、子供の頃の気持ちを忘れている自分、に対する戒めというか、そんなモヤモヤ感を持っていたから借りた映画なわけで。

そういう意味ではとても勉強になった映画でした。


まざまざと見せつけられる科学という概念がない子供心。なんなんでしょうか、そいうのをみせつけられると感動してしてしまう。子どもの方が大人に見えてしまう。子供なのに大人。そんな矛盾している様を見せられると戸惑ってしまいます。


この映画の「奇跡」の願いとは小学6年生の主人公にとってなんだったのか。

これはネタバレなので言えませんが、私が今年、何年かぶりに行った初詣で願ったことだったりします。

この歳でようやく願えたことをここでは小学生がしている。やられました。私は大人になりすぎていたようです。いや、大人にならされていたということでしょうか。いろんな常識を植え付けられて。


やはり冒険ですね。やんちゃでもいいから冒険をしようってこと。学校の教科書よりもそこで学ぶもののほうが大きい。この映画に出てくる学校の教師達もそれを認めてましたね。偶然にも先日の大橋トリオのPVに出演していた中村ゆりさんもチョイ役で出演されてました。子どもの冒険の片棒を担ぐ保健室の先生として。


あと、学ぶべきことは家庭環境です。この映画では父親と母親が離れて暮らしている家庭が登場しますが、たとえ親が離れていても子供はその環境で学びながら育つ。いつか紹介した、「天地万物が育む」という言葉を思い返すとわかりやすい。劇中でも彼らを取り囲む人や物がそれぞれを育んでいる。そして、近くにいる大人達から発せられることを子供は意識せずに学び取っていく、そして学ぶために真似をする。

冒険して叱られて、それでも冒険して学んでいく。それもありなんだろうな。学校教育なんてほとんど洗脳に近いものがあるし。そこの常識からいかに抜け出していくか、もちろん闇雲にではなく頭を使って、先生のご機嫌を取りながらっていうところの学びもこの映画から学べるところだったりする。


当の私も冒険をしていたピークが小学5、6年生だったことから、当時のこと想い返してしまった。当時はクラスでは誰もやらないことを率先してやっていたように思う。

小学生の頃の写真を引っ張り出してみた。例えば下の写真を見るとわかるように、学校の帽子をアヒルに見立てて、ツバの部分を裂いてクチバシを作り、その上にはマジックでアヒルの目を書いていた。それをかぶって登校していた。普通に考えておかしいねこれは。


ちなみにこの写真は、遠足で栗林公園に行った時のものですね。


盛峰のブログ

あと、小4年から中2年までは1年に1回は学校のガラスを割っていた。ヤンキーではなかったのでこれはワザとではなく悪ふざけが過ぎてのこと。例えば掃除の時間に雑巾の投げ合いをしているときに雑巾が教室の額に当てて額を落としてみたり、窓ガラスの中に針金が格子状に入っているような強化ガラスも割ってみたり。そこだけは母親には迷惑をかけたと反省している。ただ本人的には、毎年同じ割り方はしていなかったから、それぞれにどうやれば割れるのか、というのを学んでいたはずなのです。きっと。


しかしそんな自由気ままな冒険のピークを迎えた後に、徐々に暗黒時代へ突入するわけです。その原因は自分自身の問題でもあるし、家庭環境の問題でもあるわけで。まあ、それも人生。ダークサイドからも学ばなければならないと


ということで予告編どうぞ。

この作品もやっぱ観ておいた方がよい。

個人的気には橋爪功さんの演技がツボでした。