猛特訓から得られるもの

第一回目の夏休み講座に参加していただいた1年生の生徒が今週また来てくれた。大筆と小筆を持参で。

そう、初回の時はこちらから貸出をしていたわけですが、お母さまがその時のお子さんの作品を見て、これはもう少し練習が必要だとお感じになり筆の購入に踏み切ったと。なぜなら自宅で特訓するために。泣くほど特訓したそうなので猛特訓ということになります。そのお話を聞いた時に、自分が子どもの頃に母親による猛特訓の記憶がフラッシュバックし、この子も俺と同じ経験をしたわけだなと、なんかこう仲間意識が芽生えたりして。


で、その特訓の成果を見てみると驚きの成長ぶり。3年生、いや4年生並。あらゆる面でその成果は見てとれました。小筆に墨をつける動作ひとつにしてもいい感じの慣れ具合。ここまでになるにはそうとうな特訓を・・・もうお母さまの鬼の形相が目に浮かびましたね。

そこで思うことはやはり、そういうのが大切だと。体験で終わらせてしまわない。特に書道のような積み重ねの連続によって心技体を育てるものは、時を経ることによって良い経験となり身についていくわけで。


でもここで心配されるのは、そんな猛特訓をして本人がイヤになってしまわないか。以前に私は、それが嫌で仕方なかったというようなことを記事にしていましたが、この度の生徒を見て子どもの頃の、「苦」に覆われていたことによってどこかに落ちていたその時の、そしてその後の気持ちを拾えたようです。


もちろん特訓というものは誰もが通る辛い道です。でも結果として今回の生徒は前回の時よりも確実に、やる気と自信に満ち満ちていた。自分は特訓(修行)したんだと、そして上手く書けるようになったんだと。そう言葉に出さなくともその姿からはそういったオーラが醸し出されていて、二週間前の彼とは別人に映って見えるほどでした。もちろん他の生徒もそれぞれにそこを狙えるほどの勢いでがんばってくれまして、それによりこちらもまた皆から素晴らしい学びをいただきました。

ありがとうございました。