シャコになろう

なぜ、屋号を「墨屋好文堂」にしたのかというと、ただ単純に両方使いたかったから。それと、それぞれ単体で使った場合、“墨屋”で検索すると筆文字で商売されている方がトップに出てくる、“好文堂”で検索すると”書店の好文堂”さんが出てくる。

しかし、“墨屋好文堂”で検索するとトップに出てくるというすばらしい屋号なんだよキミ。

ということです。


さて、最近はチラシのデザイン作業やなんかでパソコンの画面をガッツリ見ていたことが多かったせいか右眼が頻繁に痙攣を起こしている。右をよくつかっていたということかなのか。最近になってメガネをかける頻度が多くなったことも原因ではあるんだろう。疲れ目といふものを経験している。

これはたぶん社会的にもいろんな意見が飛び交っているとは思うけど、疲れ目とか色の見え方が昔と比べて少しおかしくなっているんじゃないかということ。といってもそんなことずっと前からいわれてて、それは時代の流れだから、というだけで済まされること。

結論から言うと、テレビは白黒に戻せばいいと。デジタルだとか画素数がいくらだとか、よく考えてみれば人間の眼で識別できる画素数は限界があるからあまり意味がない。最近まで個人的に繰り返していたコメント付きリツイート”動物豆知識bot”の豆知識から引用すると

「シャコは12種の色を識別できる(人間は赤、青、緑の3種類)。また、円偏光を知覚できる唯一の生物である。」

だから、シャコにデジカメで撮った写真を見せたらきっと喜ぶんだろう。身が締まって甘味が増し美味しくなるかもしれない。それを人が食べたら、人間では識別できないはずの12種の色が口の中で広がり、まことの「お口の中が宝石箱や~」状態になるかもしれない。

結局、色の情報は個人の脳と感性次第だし、例えばデジカメの画素数が600万画素以上あっても人間は識別できないから意味はない。

何が言いたかったのかというと自然の色を薄く感じている人が増えてきていて、桜の花びらの色が昔よりうすくなったという人が増えているという。実際は色は変わっておらず、どちらかと言えば濃くなっているのに・・・というのをどこかで読んだことを思いだした。ただそれが科学的な実験結果なのか、そういわれているだけなのかは知らない。

だから何が言いたいのかというと、もっとお花を愛でようよ、と。家庭で(お母さんが)センスのいい生け花でも披露すれば子どもの感性は確実に上がる。子どもがテレビゲーム、ネットやら携帯ゲームにハマっている、じゃなくハメられていることにそろそろ気づいてまず感性を磨いてから、その他の詰め込み教育とかをやったほうがいいと思ったりもする。どういいのかというと、ものの見方がまるっきり変わってくる。昔は少しはマシだったはずなんですよ。今なんかは(ひっくるめると)光る画面を見ることに関する依存症がすごいことになってる。

だから結局、テレビは白黒に戻す→書道の白黒、自然の色を識別することによる感性アップ→生花の自然色、に繋がるよね、ということが言いたかっただけです。



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