”求めない”ことと”追求”について 指揮者 小澤征爾をまじえて

”求めないでいられるとき、ひとは

いちばん自由なんだ。

着るものも

食べるものも

住むところも充分にあったら、それ以上は

求めないでいるとき

とても自由なんだ。              


ところで、求めないでいられるのは

君がもう持っているからだ。

持たないひとに

求めるなといえば

無理さ。

衣・食・住が足りていて

それから、君が

礼儀や気取りを捨てたとき

自由がくるんだ。


ただね、

ひとから求めるなと求められて

それに従ったって自由はないよ。”


『求めない』 加島祥造/加島 祥造

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今月の硬筆課題文はこちらから。

求めるなっていっても求めてしまうものでね。

まあでも追求という求め方もあるわけでね。


先日、NHK『ニュースウォッチ9』で指揮者の小澤征爾さんが生出演とあったのでウホッとなった。

指揮者には全く興味を抱いていなかった一昨年の秋、ある番組をみて小澤征爾さんを知った。もちろん世界的指揮者ですから以前から存じ上げていたんですけど、「小澤征爾」を頭に描くときは容姿(ビジュアル)と、なんか熱そうな人、くらいしか思い浮かべることができなかった。あと、この人は宇宙人だな、くらいしか。でも、一昨年に放送された『執念 ~小澤征爾76歳の戦い~』を観てからは小澤さんを別の角度から知ってしまった。それは死の世界からの角度であり、3年前にガンで食道をすべて摘出してからの過酷な日々を捉えた映像である。

思い通りにならない体を奮い立たせながらの世界各地で公演。指揮を取る度に急激な体調の悪化を繰り返し、最終的には半世紀以上のキャリアの中で初の開演直前に体調不良により指揮を断念する事態にまでことは及んだ。

この間、小澤さんは死と向き合い、音楽は命につながる深いものだと再発見したという。


当時テレビをつけた時にたまたまこの番組をやっていてすぐに録画。それから結構な回数繰り返し見ている。小澤さんの音に対する凄まじい気迫、一つ一つの音に対する集中力の高さ。そのわずかな差を追求している姿に見入ってしまう。そしてその姿を見て圧倒されてなにもする気がなくなってしまう。

で。今回のニュース生出演番組では、娘さんもVTRで父・小澤征爾についてのコメントをしていた。娘さんの征良さんは小学校の頃に日本に帰ってきた時に喘息がひどくなり、学校も3分の1くらいしか行けなくなったほどで、なんども死ぬかというくらいの発作に見舞われるなか、父・征爾はクソ忙しい中、毎日のようにボストンから電話で涙ながらに自分と変わってやりたい、そばにいてあげられなくてごめん、と謝辞を述べていたという。その頃の想いを胸に娘は父が病と戦っている今、恩返しに私の全てを投げ打ってでも父を守ってあげたいんだ、と言っていた。

娘さんはその当時10歳、父は現在77歳。60年の時を経て、幼い頃は離れ離れだったけどいまこうして再び近くで助け合えるという物語的繋がり。

ほんとこの時を超えたつながりはすごいなあと思ったわけです。

音への追求、という意味での求め。

そして家族愛。

お互いに与え合うという意味での求め。

最後に冒頭の本からもうひとつだけ

”花は虫に交配を求める

虫は花に蜜を求める

花と虫はお互いに求め合うことで

互いを生かしている

それは片方だけが「求める」ことじゃないんだ。

子が母の乳房を求めるとき

母も子に乳を飲むように求める

それは片方が求めることじゃあない

互いを生かすことなんだ。

共存とは、

「求めあう」ことじゃなくて

互いに「与えあう」ことなんだ。

片方だけが求めるとき

相手を傷める

奪うからだ。

生物は互いを生かすように求めあうことで

生き延び

進化してきたんだ。

それが止んだとき、

人類は滅びに向かうかもね。”

下の動画は2010年のもので、食道がんの手術をした後の初の復帰公演。このあとさらに15kgも体重が落ち、腰痛も悪化し腰の手術もした。現在は指揮者としての活動は控え若手育成に勤めているという。