人間の育て方

2年ほど前に地上波でやっていた、“知の巨人”と呼ばれる養老孟司先生と、“イクメン”とレッテルを貼られたつるの剛士さんの対談、から書き起こしつつまとめ。

ただこれは全体的なことでもあるし一部分のことでもあるし極論も含まれていると思うし、テレビ番組だから時間内に収めるために会話の編集もされているだろうし。だからそんな感じで捉えた方がよさそう。


番組は、題して『養老式 人間の育て方』


養老さんが生きた時代は戦争もあったし震災もあった。けっこうめちゃくちゃな時代を生きて来ました。そんな養老さんは、今の自分があるのは親の言葉があったからと言います。そもそも、本来の夢は虫取りだった。でもそんなものでは食っていけない(当時の食っていけないという意味は食べ物そのものが無かったということ)。そこで親から言われた言葉は、医者ならどんな時代でもやっていける、というもの。この世の中とうまく付き合っていくためには、世の中の役に立てばいい。それを仕事というんだと。小さい時から、人のためになれとか、世の中の為になれとか親に言われていた。

今の人たちが間違っているのは、そういったことを自分の為とか言ってるのが沢山いるからおかしくなっているんだと。


一方、つるのさんは子育てに関しては不真面目なのに、周りからイクメンと言われるのが納得いかないという。育児休暇を取ったのは4人目の子供も生まれるということもあったし仕事が増えすぎていたから。そしてなによりも奥さんとの時間を大事に考えていたからだという。


そもそも育児というのは、お父さんが元気で子どもが遊んでいるのを見てる、というものだったはずが今の日本の人は休暇を取らなすぎる。養老さんも仕事人間だった自身を振り返るとそこは強く思うところだという。では何故一生懸命働くのか、その一つの理由は人口過剰で、居ないと席がなくなるからであり、育児休暇がとりたくても取れないということらしい。

でも、知人の心理学の人が夫婦の調査をやった結果を見て、本当は休まなければいけないんだと思ったという。それは、新婚当時の愛情を、夫から妻への愛情と、妻から夫への愛情をそれぞれにアンケートを取り点数で測る、といったもの。

新婚当時を100として、5年ごとに15年やった。すると見事なもので、夫から妻への愛情は横ばいで、その逆は右肩下がり。

その理由は子育てにあって、旦那が子育てに協力しないということ。この協力しないという意味が複雑で、おむつを洗わないとかそういうことではなく結局、根本的なところでは任せっきりで責任を持たない。育児で疲れているだろうから温泉でも行ってきたら、というような妻への思いやりもない。

でもたとえそれをやった場合でも、そこで奥さんがいなくなった時に旦那は何をするかっていうと、たぶん実家のお母さんを呼ぶ。そうすると(お母さんは)嫁はどこへ行ったんだ、となる。


結局、突き当たるのは“世間”の常識でありそこが動かない限り、この奥さんの夫への愛情の右肩下がりは直らない。夫婦円満の秘訣は、子育てに同等の責任を持つということで、具体的におむつを洗うとか食事を作ることだけではない。

第一に「育児休暇」という言葉自体がおかしくて、育児をするために休むのではなく、まず奥さんのことを考えるのが正しいんだと。


<そして「子育て」に話題は移る>


今の子供たちに関して言えば、大人にするのが加速している。当然ながら昔と今とでは全く違う子育てです。昔はたくさんの子供が幼くして亡くなっていたため親の気持ちも子供に対する見方も違う。3歳か4歳でいつ死ぬかわからない。そうすると短い人生でも思う存分人生を全うさせてやりたいと、子供には子供の人生を与えてやりたいと親は思っていた。でも今は、子供はほとんど死なないからそういう理解がなくなっている。だからか、子どもを早くから大人にさせようとする教育がなされ、子供を大人としてみるようになり、あれが足りないこれが足りないといろいろくっつけようとする親が多くなった。本来は大人になるまでにゆっくりやればいいわけなのに。


<ここで、そうなったのは入試の為、という理由が出てきて話題はそちらへ>


養老さんは入試を長年やってきた中で、あれで人を採っているのは無責任だと(オ○ムの学生が入学してきたことから)いう。犯罪者だろうがなんだろうが点数が良ければ入学できる。入試というのは、どんなやつが入ってこようが俺には責任がない、ということを採った側が言える制度なんです。なのに世間の人はそれを公平で客観的だとか言ってる。例えば、総合点で513点なら合格で512点なら落ちている。その1点の差にどういう意味があるのか。この1点の差で天国と地獄に分かれるのは公平な社会とは言えない。入試が引き起こした最大の問題は、いわゆる業績主義。ある物差しで測って点数より上の人をイイとする。

その結果なくなったものが日本の社会にあって、それを典型的な言葉で“人を見る目”だという。成績(目に見えるもの)を重視して人の個性を見れない。大事なのはそこで見間違えたらそれは自分の責任なんだと。自分が責任負うべきだから見間違わないようにしなければいけない。

これと同じで、子育てには目に見えるマニュアルはないし頭で考える子育てがどうにかなると思わないこと。どう育てたらいいかなんて本来わからないものだし、うまくはいかないから子供を見る時は責任を持たなければいけない。その責任の多くはお母さんが持たされている。だから結局、旦那さんは頑張って奥さんの機嫌を取ったほうがいいんですよ。子どもはお母さんの機嫌が良ければ絶対にいいんだから。。。


ということでした。


おとうさんがんばってください・・・


叫びがきこえそうなので

代弁してこの曲名を。

ちなみにこちらゴールデンウィーク公開予定『L.A. ギャングストーリー』の主題歌

Jay-ZOh My God