祭りごと

先月22日に出品し終えた毎日児童硬筆展の成績発表、展示は以下の通りです。

毎日新聞紙上での発表は今月27日ですが、もうすでに皆さんのもとには成績通知ハガキが届いていることでしょう。

賞状とトロフィ―は作品展示後に贈呈しますのでお楽しみに。

僕の教室ではこういった硬筆展に参加するのは初めてでしたが、勝手が分からないながらもなんとか皆の作品を出品し終えることができました。

ただ、こういう展覧会や競書会の作品の場合は、普段よりは太く濃く書かなくてはなりません。その辺りのことが子供達にとっては初めてだったので、なかなか思うように書けていなかったように思います。

作品審査では字面、全体のバランスが重視されるところですが、内申点も入ってきます。だから、努力している人はそれだけプラスになるし、ある程度の枚数をこなしていない人や、こちらから出した課題(宿題)をやってこなかった人はその時点でマイナスとなります。

といっても、皆に賞を取ってもらいたくて硬筆展に参加したわけではないので個人的にはどちらでもOK牧場だったりします。全員これまでで一番がんばっていましたからそれだけでいいのです。努力と褒賞をセットにしてしまうと本質を見失いがちになります。


この教室では、子供達の成績を「級」で数値化したくありませんでした。そういった順番を付けてしまうとどうしてもその差が目に見えてしまう。そうするとその差を埋めたい、負けたくない、という、仏教の教義ではもっとも醜いといわれる利己心、つまりライバル心が育ち始めてしまいます。だから僕の教室では褒賞などは一切与えてきませんでしたし、どちらかと言えばそこから遠ざけてきた。だから当然子供たちの中には褒賞という概念は無かったと思うのですが、今回のことでそれを具現してしまったことになります。

僕が今回の展覧会に参加したのは、いつもより厳しい状況下に置いて、これまで見えていなかった伸びしろを大きくしたいという目的がありました。結果的には約2か月半もの間、この硬筆展の課題を書き続ける様子を見ているとそこには、友達同士、兄弟姉妹、幼馴染同士、それぞれがお互いに励まし合いながら書くという、いつもとはまた違う風景がありました。もちろん以前からそういうこと少なからずありましたが、今回はより強固なものを感じました。


やはり繋がりや結びつきが強固であると人は成長するようです。

特にそれを感じたのは、同じ時期に行われていた小学校の競書会において。我が教室から高松市内で事実上トップの成績の生徒が輩出されました。彼は年長のころからこの教室で習い始めていて、その当初から光るものが確かにあったのですが、清書の時になるとどうしても文字が縮こまるという殻から抜け出せずにいました。そんな彼が2年生となった今年、初挑戦となる競書会で覚醒したのです。


映画「マトリックス」のネオは誰の助けによって覚醒することができたか、トリニティ(三位一体)によってです。では今回、彼(生徒)を助けてくれた主な人達を三位一体に当てはめてみます。

まず家族(特にお母様)、次に学校の先生、そしてワタクシ。ちなみにワタクシはほとんど何もしていません。僕ができるのは週1回の教室のときだけ。その時に僕がしたことといえば、彼の鉛筆をカッターでいい感じに削っただけにすぎません。あとは、学校の先生とお母さんの言うことをよく聞いておくようにと言っただけです。

そして自宅での毎日の練習。そこで一番大きな存在となるのがやはりお母様なわけです。これは今まで何回か言ってますが、「母親は催眠術師としての資格を持っている」、つまり、普段の言葉掛け、関心の持ちようが子供の潜在能力を引き出すきっかけとなるということなんだと思います。彼のお母様もやはり熱心でして、学校の先生に注意された箇所を僕に報告してくださいました。そのお蔭で教室での指導もスムーズに進めることができたのです。僕自身にとって、競書会の指導をするのは初めてのことだったのでとても助かりました。


とまあ、いろんな人の支えがあるから本人も自然に努力ができるようになる。これが年を重ねるにつれ、褒賞のために努力するようになっていくんですよね。僕自身も恥ずかしながら20代はそれだけしか頭になかったわけで。そのお蔭で今の僕があるわけだからその考え方を全否定するつもりはないけど、肯定するつもりもないので、僕の教室では勝手ながら子供の級・段取得はできないことにしています。でもやっぱりそれじゃつまらないことも感じてはいます。だからちょっとしたイベント的なものがあった方がやっぱ楽しいよね、ということで今回の硬筆展に参加した次第であります。年に1,2回はお祭りに参加してもいいじゃないかと(ちなみに冬には同会主催の毛筆展がありますんで)。もうすぐ高松まつりで総踊りが行われますね。踊り手は本番までにひたすら練習に励む。そうしてその成果をお披露目をする。これは硬筆展においても同じで、練習に励み完成させた作品を美術館でお披露目する。そう、硬筆展という祭り事に参加したも同然となるわけです。

何事も捉え方でいいように解釈できますね。



振り返ってみれば、この教室を始める当初は周りに大反対されたんですよね。級は絶対に取らせるべきだ、でないと子供は成長しないし、ましてや生徒自体集まってこない、なぜならほとんどの親が級を欲しているのだから、と。

あれから4年。お蔭様で徐々にですが生徒は集まってきています。そして今年は、競書会で優秀賞をいただくことができた3人が「書道教室における級取得にこだわる意味はない」という僕の主張を、素晴らしい結果でもって代弁してくれたようで、とてもありがたく思っています。

・・・因果なもので、毛嫌いしていた褒賞に助けられるという結果になってしまいましたね。

ほんとうにありがとうございました。