shodo

先月は皆、お習字というものをやりましたが、この「習字」、古くは貴族の教養層のたしなみとして「手習い」と呼ばれていました。幼少期には美しい文字を書きこなす練習を、そして大人になると鬱屈した気持ちを紛らわすべく和歌などを書き記そうと筆を採る人もいました。

そして江戸時代には、寺子屋皆が墨を摺り、紙が真っ黒になるまで書いて文字の習得に励んでいたといいます。

書道ってそんな昔からやってきたことなのですが、最近よく思うことで、まず習い始めようとするときに気を付けてもらいたいのは、「上手い文字を書けるようになろう」から入るのではなくて


「一点一画ていねいに心を込めて書く」


という基本態度を身につけることをまず最初の目的としていただきたい、なんてことを最近思ってるわけですよ。それが手習いであり、習字であり、書道なんです。

そう、基本はていねいに書くということなんです。この基本を身につけるところが書道教室なんですね。


なんでこんなことを言い出したかというと、先月の筆を持つ子どもたちを見ながらふと思ったんですよ。この中で自分のやっていることが、「書道」だと分かってやっている子ってどれくらいいるんだろうと。いや、分かってなくでもいいんですよ。僕も子供の頃はおそらく分かってなかったと思いますし。

当時はただ、親にはいつも「時間になったら遊ぶのやめて習字行きなさい。」と言われていたので、「さぼりたい習字」でしかかなったわけです。でも「あんた、さぼらんと書道行くんやで!」ってなったら、書道かっけー!いくいくー、とは絶対なりはしないけど、意識は違ったんじゃないだろうか、いやたぶんあんまり違わないだろうな。


あ、そうか、このご時世だから英語にしたらいいのか。


shodo  


Japanese calligraphy !!



やはり英語はかっこいいなあ。


・・・かっこいいけど肝心な道筋が見えない。

日本において「道」のつく人間修養方法は沢山あって、茶道、華道、柔道、剣道、合気道弓道などなど、、、

これらすべて、学習過程において人格を練磨する修養法です。古代中国では、書は身分ある者の基礎教養である六芸 の一つとして崇められてきました。


そういえば、今年の9月から中国都市部の小中学校では書道が必修科目になるようです。昨年にこちら でも書いていたように、国策としての儒教思想復活は着々と進められているようです。

失った何かを取り戻そうとしているんですね。バランスを保つための何かを探すことは、同時にその時の自分の状態を見ることでもある。

書道を始める理由のひとつに「デジタル」と「アナログ」のバランスを目的としたことはよく言われることですが、書道をやっていると、自分のアンバランスさがほんとうによく見えてきます。それこそ書いている文字が自分の姿(字は体を表す!)なんだから。

そこで表面を取り繕おうと上手く書こうとする。上手く書こうとすると力み過ぎて崩れてしまう。じゃあどうすればいいのか、そんな難題と常に向き合いながら静かに己を練磨する。

いや~書道っていいもんですね。

日本も中国に倣って必修にすればいいのにね。