夢を見つけるためにできるたった一つの体操

今日はオータムジャンボ宝くじの抽選日でした。


抽選日を知っている・・・そう、実は十数年ぶりにジャンボ宝くじを買ってしまいました。宝くじなんて当たるはずはないと常日頃から思いながら生きてきたのになぜ買ったのかというと、夢を見たからです。宝くじで1等が当たる夢を。


そういえば先日、今月の課題文のことで小学2年生の生徒にこう訊かれました。

夢が無くなってしまうと、心も”消えて”無くなってしまうのか?と。


もちろん無くなるはずはないので、それは消えたのではなく隠れて見えなくなっているだけだ、と伝えました。この課題文に関しては、人によってはそう捉えられるだろうことは予想していましたし少し心配もしていました。まあでも、あのロックミュージシャンが言ってることですからね。


とかなんとかいいながらも実は夢は無理に持つ必要はないと思っています。無ければそれはそれでいいし、夢が無かったら心が無いわけでもないのは当たり前のこと。私利私欲むき出しの夢を持つ人の心はどうかとは思いますが、夢を見つけたとしても次の瞬間には失うこともあるだろうし、心が「それは違うよ」と忠告してくれてまた別の夢を発見したりと形はいろいろ。

ん?夢にカタチはあるのか?


科学的に言えば、夢も心も物体ではないから消えることもない。

そんなことをいったら夢も希望もないし面白くないから形而上学的に考えてみると、

夢を見つけたら心も見つかる?心が見つかったら夢も見つかるのかも。

というように卵が先か鶏が先か みたいな哲学的疑問だってできる。

夢が消えたら心も消えるってことは、夢と心はイコールなのか?

夢はなんとなく分かるけど心って何?とかって考えていったら心が見えてくるかもしれない。

心ってどこにあるのか・・・体の中?頭の中?リンゴの中?

中じゃないかもしれない。てことは外?空に浮かんでいるかもしれない。

宇宙のようにどんどん拡大していっているのかもしれない。

ということは、その心がつくる夢は宇宙のように限りのないものかもしれない。

夢には制限なんていらないのかもしれない。

もしかしたら宇宙が見ている夢が僕たちなのかもしれない。
この世に生まれてくる前には夢を持たされてここに送られてくるのかもしれない・・・

はっ!知らぬ間に「かもしれない体操」 をずっとやっていました。

ちなみに今の僕の夢は、ある人の夢を叶えることです。でも、もしその人の夢が途絶えてしまったら僕の心の一部も消えるのかもしれませんね。

そうなったらまた夢を見つけるまでですが。



P.S. 冒頭の、夢の中で当たった1等の商品はデジカメです。