ぴっつんトロフィー2号

 

もうすでに毎日児童硬筆展の特訓は始まっています。

そういえば、昨年から設けている『ぴっつん賞』ですが、前回の書き初めコンクールでは残念ながら受賞者はいませんでした。

これはつまり、いつも以上の努力していた人がいなかったということです。皆が皆、普段通りに普通の練習を普通にしていました。新しいデザインのぴっつんトロフィーを作っていたのですが手にした人はいませんでした。

映画の賞でもなんでもそうですが、参加者がいれば受賞者は必ずいます。しかし、ぴっつん賞はそうはいきません。

 

このことに関して、シャア専用ぴっつんはこう言っています。

「我は授与するにふさわしい勇者を冷静な目で見ているのだ。ちょっと頑張ったくらいでは、この世界にたった一つしかないぴっつんトロフィーは与えられないのだよ(ぴっつんトロフィー作るんけっこう大変やねん ちゃんとした工具やら機械やらがあらへんから原始的な手作業でぜんぶやってんねん 切ったり削ったりしてたら手の皮とかずるむけるし口内炎できんねん そんなに大量生産できへんねん)。」

 

まあでも、普段通りの練習をしてそこそこ書けているからすごいとは思います。厳しい教室では、競書会とかコンクールの時になると合宿をしたり、けっこうスパルタなところもあるらしいです。僕が小学生ころは母親がスパルタだったのでいつも泣きながらやったものです。ですが、あまり才能がなかったため上達はしませんでした。スパルタだったから逆に上達しなかったのかもしれませんが、それでもそこそこ結果が出せたのはひたすら書いていたからなのでしょう。

 

でも、ほとんどの生徒は小学生当時の僕よりも上手いんですよね。そんなに練習してないのに。稽古時間は週に1回、正味50分程度ですよ。それに宿題を出したところで、ルールを守ってやってくるのは5割程度。なのになぜみんな上手く書けるのか。その才能をうらやましく思います。

 

と思う一方で、イチロー選手が引退会見でも仰っていましたが、「寒く辛い時期に練習を重ねても成果が出ないと心が折れる」という、この「練習を重ねても成果がでない」、「心が折れる」という経験ができないような気もしますよね。練習する時間が圧倒的に少ないからそこまでの経験ができないだろうなと思ったり。まあ小学生だからそこまで追い込む必要はないのかもしれませんが、ある程度は素地をつくっておかないと、経験を体験に落とし込んで智恵にするということが、これからの時代には重要になってくるようですから。

 

コンクールへの参加を呼び掛けているのもこれが理由のひとつで、ひとつのことにある程度時間を掛けて取り組むという体験をしてもらいたいという思いがあります。なので、できるだけ家庭においてもそういった意識付けをしてほしいのですが、自宅での練習をすすめてみても、最近の小学生は忙しいようなのでそんなことには時間は割けないようです。

 

以前にも言ったように、コンクールにおける賞とかトロフィーに関しては「おまけ」として捉えてください。スマナサーラ長老が「自慢するならせいぜい身内だけにしなさい」と仰っていたように、決して誰かに自慢するとか、力比べをするための道具にはしない方が賢明です。比べるのは過去の自分自身ですよね。

それに、承認欲求のために行動することに慣れてしまうと創造的になれないし、ある程度のレベルのクリエイティブな仕事はAIに奪われるため、そういった概念はこの先あまり意味をなさないようにも思えます。もうすでに日本とイギリスでは学歴社会は崩壊しているといわれていますが、知的創造力がなければ、この先のAI革命によって高学歴で地頭だけが良い人材はAIに置き換えられていくことになるようです。

 

たとえ上位段を持っていても、りっぱな賞を取っていても結局のところ、いかに自分と向き合ってきたかという、対外ではなく内省的な姿勢を保つことの積み重ねの方が大事だといえます。

肩書を得るのか、本物を目指すのか。この先いろいろ経験してみてそこに気づくことができれば、その時がターニングポイントになるのだと思います。

 

 

ということで、ぴっつんトロフィーⅡの授与は次回に持ち越し。

 

 

 

 

 

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