「切磋琢磨」
切磋琢磨とは、もともと材料を加工する作業の事を表す表現であったが、転じて様々な努力を通して、互いに高めあうことを表す四字熟語となった。
- 「切」とは骨を加工する時の作業。
- 「磋」とは象牙を加工する時の作業。
- 「琢」とは玉(ぎょく)を加工する時の作業。
- 「磨」とは石を加工する時の作業。
これらは手間と緻密さが要求される作業とされる。このことから、勉強したり道徳に励んで人間を成長させることや、競い合い励まし合って互いをみがく様を「切磋琢磨」という様になった。
ウィキペディアより
個人的には”競い合う”という箇所を”助け合う”という言葉に替えたい。競い合って成長するというのはこれまでの考え方であってこれからの時代には重要とされないのではないか、というか、そうあってほしいという思いが少なからずあるので。
例えば、これまでは企業は競い合って経済成長を遂げたけど、今では統合、提携しながら助け合っている。
こんな事を言っている私も実はつい最近まで競い合うことで成長するというのを信条にしていました。書道で公募展などへ出品する作品創りにしても、反骨精神だけで挑んでいた部分があったのも事実。
考えを変えた理由は、ここ3年の間にいろんな出来事に出くわし様々な事情を知り、そしてその後に、自我を捨てることを理想とする文化を知ってしまったからであり、明治維新以降に日本入り込んできた目立つ事を重要視し、あらゆる意味で頂上を極めようとする西洋文化というものは多くの肉体的・精神的犠牲を生み出すことに気付いてしまったから。
だからといってそういう時代が駄目だった、というわけではなく、その時代にはそれが必要だったはず。西洋文化を体験しなければ東洋文化をかえりみることもないわけで。
とにかく、リラックスをするということが大事なんじゃないかということに到ったわけです。競うということは緊張を生みますよね。極端にいえば争いをも生む。
リラックスすることを知っておくことで力の入れ具合をコントロールすることができれば幸いです。
では論語の話に戻りまして
私たちがよく使っている「切磋琢磨」は実は論語の言葉でもあります。
これは、孔子の弟子の一人が「貧しくてもへつらわず、金持ちでもおごり高ぶらない人物はどうですか?」と孔子に質問したところ「貧しくても学問の道を楽しみ、金持ちであってもお金のことは忘れて礼儀礼節を好んで行うもには及ばない。」と答え、それに対して弟子が「詩経にある、切るが如く、磋すが如く、琢するが如く、磨するが如く、ということですね」と発言したといわれています。
今回は、篆刻(てんこく)作品です。篆刻は石や木などの印材に文字を刻すことです。
なにぶん経験不足なものでして見苦しい点が多々ありますが・・・。切磋琢磨と書いてあります。