再び「インセプション」

映画記事で予告していたインセプション 観ました。

”潜在意識”をテーマにしている段階で難解だろうとは思ってましたが、予想通り小難しい内容でした。

しかし映像は圧巻の一言。観る価値はあり。セリフが難解ですがあまり考えなくても内容は理解できるように演出されてます。終わりよければ全て良し、という感じで見終わった感もすっきり。


心理学な映画なので心理学を専攻している人はよりいっそう楽しめるのではないかと思う。

潜在意識とは意識していない(できない)部分で無意識とも呼んでいる。意識している部分は顕在意識といいます。

ユングは人間の意識を氷山に例え説明しました。普段、私たちが意識している顕在意識は、氷山にたとえれば、海の上に顔を出している部分にしかすぎず、海中に沈んでいる部分、つまり意識の大部分が無意識によって構成されていると言いました。

だからかどうかは分かりませんが、この映画の冒頭シーンは海でした。

ユングの「自我と無意識」という本(半年ほど前に買ったはいいが難しすぎて内容が理解できないでいる)の中に以下の文章がありました。


”男性の場合、一般に自我が精神や知性を代表としているとすれば、他方で、「魂」は情動的な側面を代表している。男性の魂は自我人格から区別される自立的な内なる女性像たるアニマ(ラテン語で魂の意)である。他方で、女性にはアニマがなくアニムス(同じくラテン語で魂、生命、意見などの意)がある。ユングの考えでは、一方でアニマは気分を生み出し未分化な感情を本質としているが、他方でアニムスは意見を生み出し未分化な思考を本質としている。一方で男性はアニマから、他方で女性はアニムスから自らを分化させなければならない。さもなければ、それらは他者に投影され、われわれの対人関係を破壊する恐れがある。”


というように、とても理解に苦しむ内容です。

でも映画を見た後だと、物語の核となるであろう主人公とその妻の関係性がこれに当てはまるのではないかと思ったりもする。はっきり言ってまったく解っていないが。


付け加えておくと、人生とは迷路である。それを作り出しているのは自分自身(意識)で、迷路を抜け出すのも自分自身(潜在意識)である。

そしてこの世は時間に支配されている。

誰かの真似ではなく自分の道を行け。

というメッセージをというかクリストファー・ノーラン監督の主観を、映画という媒体で体験することによって得た気付きとする。


話を冒頭に戻すと、意識している現実が氷山の一角なら、潜在意識(無意識)の部分は、生まれてから現在に至るまでの個人的な経験から構成された個人的無意識と、そのさらに奥深くに広がる集合的無意識とから構成されています。集合的無意識とは、個人の経験の領域を超えた人類に共通の無意識領域・・・・・という文章を、いきなり読んでもまったくわかりません。が、この映画を観た後ではなんとなくわかるような気分になれます。ええ、そんな気分にね・・・。


この映画では潜在意識=夢の中、としていて、複数の登場人物が同じ夢を共有することを可能にしている。しかしそこに個人の無意識=記憶、を持ち込むことはタブーとされている。なぜなら個人の記憶が具現化してしまい他者に本人の意志とは別に危害を加える恐れがあるから。しかしこれは実はその本人の本心ともいえる。

潜在意識は変化を嫌うものであり、そこへ変化を加えようとすると抵抗する。これは例えば収入が安定している現在の状態に安心を憶えている者は夢を叶えるためには捨てなければならないそれらを捨てることが出来ない、ということに繋がる。なぜ行動できないか、それは潜在意識が抵抗しているから。というようなこともいえる。映画の中でも自分の記憶に邪魔をされる主人公はそういった葛藤を余儀なくされている。


これらをふまえてこの映画を見ていると、どちらが本当の現実なのか?ということがわからなくなってしまう。夢の中で私たちは夢を現実としか思っていないわけで・・・たまに夢とわかるときもあるけど。


普段使わない頭がパンクしそうなのでもうやめます。

わからなくても映像はすごい。しかもオリジナル脚本。この監督の想像力はすさまじいです。


加えてこの日の早朝に私に起こった出来事ですが、夢の中でツバをはいたら現実の自分にかかってました。夢の中でツバをはいた瞬間に、「これは夢だ」と気付き飛び起き、かろうじて半分はかわすことに成功。夢の内容は覚えておりませんがしかしマヌケです。朝っぱらから一人でなにを遊んでいるのだ、と言いたい。

それでは日本語版トレイラーをどうぞ。