徳育<Rock

本日のちょっとした事故は、ライトハンドのオールプレイスに180℃のホットホットオイルをコーティングしてしまいポイントでスキンのセンサーをデスりました。

簡単に言うと油で右手を火傷しました。


そんな私は小学校の先生ではないし、そういう教育も受けてませんが最近になってようやく小学生をつかめてきたように感じます、とそう思った時点でアウトです。うぬぼれてはいけません。1年半ですか。そんなに適当なつかみはしてないし適当な対応はしたくてもできないタチなのでやはり時間はかけていきます。未だに教え方には自信はありません。まだまだ模索しているところです。

ただ前にも申したように子ども達の10年、20年後そしておっさん、おばさんになった時のことを考えながらすることに努め、それもたった週1回1時間のレッスン、そして小学校高学年になるにつれ塾へと移行していくのでしょうがやはりなにか、心に残る消え去らないなにかを・・、例えばここは書道教室ですので課題手本の言葉はこちらで厳選したものを書いてもらっています。


私の所属している書道会の教科書の課題の文章というのが、例えば「かぞくでさかなつりたのしいな。」という、どこかしらインパクトに欠けるものなので面白くないのです(かなり自分勝手)。だからそこは自身で手本を作っています。その中には難しい言葉もあると思いますがそこはご家庭でその言葉についてお子さんと話し合うのもまたよいものかと思います。そのほとんどはお釈迦様の言葉であったり、この世の真理であったりするわけですが。ただ真理とかそういうものは解ったと思った時点でアウトですので解らなくていいので、っていうそんなニュアンスを心に植え付けられたらなと思ってます。”道徳”ではないんだけどあえて言うならそいう感じのもの。それを本来なら、読解力のついてくる、そして多感になる中学生にこそ書いてもらいたいところなのですがやはり、お塾に行き始めるのが普通の流れですよね。


道徳に関しては授業を行っているところといないところがあるようですが以下のように

教育再生会議では道徳の教科化を提案したが中教審では見送る決定をしたとあります。


[指導要領改定案の骨子]

 〈1〉小中学校で国語、算数・数学、理科などの主要 教科の授業時間を1割以上増

 〈2〉前回改定で削減した学習内容を一部復活

 〈3〉総合学習の時間を削減

 〈4〉小学5年からの英語活動を必修化

 〈5〉道徳の教科化見送り


このようになった背景には、この絶対評価の時代に道徳ほど評価のあいまいな教科はないわけで。そしてその評価基準を簡単に分けるとすれば、よい子、普通の子、悪い子になってしまう。さらに心にある言葉を表に出して表面化しても、それは本当の心の声なのか?という問題もでてくるものだからだと。それに、全国共通の教科書も作らなければいけないし、中学校以上ともなると道徳専門の教員免許も設けなければならないから面倒みたい。
教員も自分の道徳観に反するものは生徒には教えられないとか、教える側の人格も問われることになるとかいろいろあるみたいです。