分野

御陰様で本日の第1回夏休み体験講座は満員御礼で幕を閉じました。ありがとうございました。

まったくの初心者を、しかも1時間半という制限付きで相手にするのは並大抵のものではありませんでした。アスリート並の反射神経と感受のアンテナを張り巡らせ若干息があがっていたのも確か。それぞれにお母さんだったりおばあちゃんが隣についていてくれていたのが何よりもの助けとなりました。ありがとうございました。子ども達もありがとう。最初に一番かったるそうにしていた男の子が最後には、普通は捨てる練習した紙(35枚くらい)を持って帰りたいと言い出したことにはまたこちらも学ぶものがありました。


学校では書写の授業は3年から始まりますが、本日受講していた3年生を技量を見ていると頭を抱えてしまいそうになりました。基本のキもできていないという。しかしそうなってしまうのも仕方がないわけで。一クラス(30人以上)を相手に教える学校の先生の労力を考えただけでもゾッとしますし、ましてや書道自体に縁のない先生が教えることも少なくないでしょうし。そういった部分ではやはり筆の扱いを教える難しさってのがある。筆遣いを身体でわかってないとなかなかね。わかっていても結局は難しいんですけどね。

確実に言えることは、その分野での楽しさを知らない人間が教えても相手にはまったく伝わらないということで。「専門」という、特殊な分野には特にありがちなことだとは思いますが。

しかし書写は今や、夏休みの宿題、書き初め、といったイベントありきの「書写」という感じがしてなりません。

ここだけの話、実は書写には人間にとってとんでもない能力を開花させるヒミツが隠されているのです。

それは・・・書写を習っている子どもはモーツァルトを聴いて育った子どもと比べて洞察力が2倍アップする、とか・・・。

どこぞの新聞がそういった記事を載せるとどうなるんでしょうか。(識字率は確実にアップするが


書道に限って、というか茶道とか華道のような「道」が付くものってウソ・おおげさ・まぎらわしい的な広告はなく昔から正直で小細工なしできている部分があると思うのですがいかがでしょう。江戸時代の寺子屋ではみんな手習いしていたわけですから。そしてその時代の日本の教育・躾に外国人が驚いていた、という事実を知ったうえで、この現代に何かを失っていると思うところがあるのでしたら今一度「手習い」に意識を向けてみることもまた何かのきっかけになるのかもしれません。


って堅いなー。頭が。

教育とか躾とかという言葉をあまり声を大にして言いたくないタイプの人間だったんですけどね。だから上の文章でそれを言っている自分を気持ち悪く思う部分もあります。やはりどうもそこに囚われてしまいたくないという想いがあるということで、囚われるとそれはもう自由でないということで。

もともと頭が弱いので覚えるのに時間がかかりますが、教育とかそういう分野については、これからいろいろと学ぼうとしているわけなのです。

しかし、今でさえもう頭の中がぐっちゃぐちゃなのです。先行きが不安です。