中川幸夫

中川幸夫 ・・・ 香川県出身の、「流派」に属さず「流派」を持たないことで、唯一の「前衛いけ花」作家でありつづける事を貫いた人。


先日、雑誌のチラ見をしていたらチラ見どろこの騒ぎじゃないものを見てしまった。

このブログでも、いけばな、そして先日の香川県出身の書家ときていたので、今回の香川県出身の華道家という流れも偶然ではない。さらに氏は書作品も制作している。書作品はこちら のこんぴら温泉で見ることができます。


いけばなには大して興味はなかったのですが今回は目が釘付けになってしまいました。個人的には前衛ってあまり好きではないのだけど今回は別格。

ネット上ではサイズの大きい作品画像があまりにも少なく、やっと見つけたこちら では綺麗な画質で見ることができます。(ちなみにUNDER COVERの高橋盾さんが中川幸夫さんのためにスーツを製作したりしている)

華に関してちょっと興味があったのは、フラワーアーティストの東信さん。彼はもうすでに有名ですがやはり中山幸夫氏から強烈な影響を受けたといいます。


中川さんは1918年、ここ香川県丸亀市生まれ。親族の影響で幼いころから花に親しんだが後に伝統的な生け花の世界を離れ、独創的な制作活動を展開。20万本分のチューリップの花びらを空から降らすパフォーマンス「天空散華」(2002年)などで話題を集めた。ちなみにこのチューリップの花びらは規格外のため廃棄するものを使っている。
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中川幸夫は怪我がもとで脊椎カリエスにかかり、背骨が曲がったままになってしまい、そのおかげで徴兵されず、華道家の道へ進むことに。池坊に入り製作を続けていたが、彼が発表したのは花ではなくて白菜丸ごとを活けた「ブルース」という作品だった。”決定的に自由であるために”
彼は池坊を脱退、東京を目指す。東京での生活は貧困を極めたという。


あー、「自由」とはこういうことだったのか。自由でありたいと願っていた自分がとても小さく思えた瞬間。


中川幸夫氏は、猪熊弦一郎氏、イサム・ノグチ氏と並び、讃岐3鬼人とも称されているのですよ。今の今まで存じ上げなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。


下の作品は中川幸夫氏が55歳の時のもので、「花坊主」 自作ガラスにカーネーションを密封して1週間か2週間経つと流れ出る。


花は、美しく咲いているから美しいは当たり前で、
しおれて、枯れて、腐って、悲鳴をあげる瞬間も美しいのだと


更に1996年78歳の時に東京・青山の「コム・デ・ギャルソン」の店舗の制作にも携っていた。


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