○ク○ク

ツイッターでもお知らせしていましたが、先月の末の満月の末にエアコンが起動しなくなりました。最悪、とお思いでしょうがこちらは特になんとも思っていません。なぜなら僕はエアコンが壊れることを壊れる以前に心の奥では望んでいたからです。

たとえそれを望んでいなくとも、細かいことを言うようですがそれは「サイアク」なことではないでしょう。世の中の大人から小人までサイアクという言葉を軽々と使いすぎだと感じます。まあ僕も言いますけどね。

言うんですけど昔と比べるとかなり言わなくなったと思います。最悪は悪の最上級だからそう考えてみるとおかしいと。言うとすれば、小悪か軽悪か。使い勝手の良さそうな、とんだ災難、が無難でしょう。

そんな、おっさんが言いそうな説教じみたことはさておき、なぜ僕はエアコンが壊れることを望んでいたか、そしてその願望が満月の日に現実となったのか。


振り返ってみるとそれは、先月体験した15年ぶりの正月ボケの最中に、な~んかヌクヌクしてるなあ、と思い始めたことがきっかけとなったのではと思います。

上の方から垂れ流れてくる暖かい空気によって体をヌクヌクさせているなあと。そんな思いが心の底からモクモクと立ち上がって来ると同時に、この空気を出している機械が壊れたらどうなるんだろうという思いもムクムクと湧き上がってきました。もしこの機械が壊れたとなるとたぶん、ヌクヌクすることがなくなるんじゃないかというある種、ワクワクという感じの感情が見え隠れしていたのです。たぶん。

まぁ百歩譲って今年の香川県は比較的暖冬だし、寒さが大の苦手だったはずの僕は今年から寒さに強くなっているという自分自身にも、うすうす気がついていたので余裕シャクシャクかなという思いがあったのは事実です。

というのは半分冗談ですが、今年に入ってようやく3.11の実感を掴もうとしているように思うのです。寒さと戦う過酷な状況ということにおいて。

だからか、特に暖房の効いた場所でいるとき、お風呂に入っている時になぜだか当時の被災された方々のことを考えてしまうようになっているのです。東北に比べると四国は南国でしょう。だから余計にヌクヌクしてはいられないと思ってしまうのかもしれません。2年目にしてようやくそんなことを考え始めていることにたいして避難の声がきこえなくもないですが、これを偽善だ、と言われればそうかもしれませんが、そのへんはまあどうでもいいです。実際にぼくは時間差を置いてイマこう思っているのでどうにもできません。


ということなんで、今回はエアコンが動かなくなってよかったと思ってます。

すぐに買い換える余裕もないことだし今年の冬は必要ない。

いま、2尺×8尺の大きさの公募展用の書作品書いてるとこなんですが、これがまた体が温まってちょうどいい。夏場にこれやると1枚書くだけで汗だくになるくらいのエネルギーを使います。

つまり、

この作品創りをモクモクとやると心臓がバクバクいって血液がドクドク流れる。そうすっと体はホクホクになる。一通り書いてみて作品の全体像を見て、直すところを考えている間にちょっと冷えてきたらテクテク歩いて身体を動かし、熱いお白湯をゴクゴク飲めばホクホクになる。そうやってスクスク成長できればいいなと思っている今日このごろ。


そんな今日このごろですが、皆様はこんなバカは放っておいていいので暖かくしてご自愛ください。バカは風邪をひかないと申しますから私は大丈夫です。なんせここ数年風邪をひいた記憶がありませんので。

まぁ昨日食べた夕飯の内容も思い出せない私ですがね。


いやでも深夜は冷えますな。

とりあえず音楽でも聴いてまぎらわしますとしますか。