難しいという概念

今月の硬筆課題にある「想像力からこそやさしさが生まれる。」は小学生1年生用です。1年生にいきなり「想像」という漢字は難しいのでは、とお思いでしょうか。思いますよね普通は。今は6月だから、ほんの数か月前は幼児だったわけですし。


先日、ある1年生に書いてもらっていたところ、それこそ最初は本人も、「難しい」と呟いていました。1回目の練習の時は。こういう時、僕はいつも言います。「いや、難しくはない。簡単だよ。」と。このセリフはわりと頻繁に言ってます。

なぜかわからないけれど、画数の多い漢字を見た時に、ほとんどの子供は積極的に、「難しい、ムリ」と口に出して言います。あと、「学校で習ってない」とか。
僕はずっとこれが不思議でならなくて、どうしてわざわざ口に出して言うのか。なぜ学校で習っていないものは、できない、と一瞬でも思ってしまうのか。

「難しい」と言うことによって、その言葉を自分自身に聞かせた結果、意識上においても、わざわざ難しくしていることになるわけですよね。ほんとのところは難しくないのに。ただ画数が多いっていうだけであって、それは「単純な線の組み合わせ」 でしかないのです。だから画数が多くてもそれほど難しいというわけではない。どちらかといえば平仮名のほうが難しい。

平仮名は簡単に見えて難しい。だからみんな舐めてかかる。だから手こずる。でも画数の多い漢字は自然と集中する。書き順を守って1本1本組み立てていく。この線はココ、この線とこの線の間隔はこうだからここにこの線がくる、というふうに理性だけでもって超集中する。そうすると、その1年生は「想像」という文字を3回書いたころにはもう、「かんたん♪」と言っていましたし、実際に大人と同じくらいに上手く書けていました。

なぜ習っていない文字を3回書いただけで上手く書けたのか。

それは当たり前のことですが超集中していたからで、そこには、上手く書いてやろうという欲もなく、難しいとか、面倒だという感情もなかったのです。


なぜそこで僕がその生徒の内面が分かったのかというと、あまりに集中していたのが見て取れたので、書いてる途中で話しかけてみたら全く反応しなかったから。

集中しきっているときって全自分を信じ切っていると思います。バリヤーが張られ余計な不安要素が入ってこない。それだからある意味なんでもできる。プロのプレーヤーにはこの集中力があるから素晴らしいプレーをする。集中の向こう側と言われている「ゾーン」というやつもそうですね。だからまあ子供でも集中しさえすればプロ級になれる時があるんですよね。


と言いましても、この生徒の話には続きがありまして、2回目の講習の時にまた同じ文字を書いてもらったところ、最初の時よりも形が崩れてしまっていました。これは、初心ではなくなっていたこと、もちろん子供ですから本人は自覚はできませんが、慢心になっていたことが理由に挙げられます。


ただ、ここで言いたいのは超集中に勝るものはないということであり、「無理」とか「できない」とかそういった何の得にもならないことは言わないにこしたことはないということです。

実際に言霊信仰というものが日本には古来からありました。神職が一般の人に代わって祝詞(良い言葉)を神様に伝え、それで神の恵みが現れて人々が幸せになるというのが神道の思想です。言葉には魂が宿るから、良い言葉を使えば幸せになり、悪い言葉を使うと不幸がやってくる、という信仰がずっと昔から伝えられてきました。今となってはそんな信仰は非科学的だと言われてさほど重要視されていませんが。


まあとにかく、子供の場合なら最低100回失敗して出来ないなら、出来ないムリだと言ってもいいとしましょうか。でもそう言った後に、今年の2月に課題で出していた植松努さんの言葉、「できない理由をひっくり返したらできる」を思い出してもらえると出来るかもしれませんね。植松さんが提言している、「どうせ無理・・・」の廃絶”を少しずつでもいいから子供たちに実行してもらえたらなと思っています。子供は変われる余地が無限にありますからね。

しかし自分もそうだけど、大人が変わるとなるとすごく難しいんですよねこれが。


あ、難しいって言っちゃった。


では最後に今月の課題のひとつを




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