3月作品展

3月の作品展です。


課題文は、ジッドゥ・クリシュナムルティ先生のお言葉でした。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)/平河出版社
¥1,782
Amazon.co.jp


3月は思うように題材が決まらず、急遽手元にあったこちらの本の中から、ほんの一部分だけを抜き出して簡潔にまとめてみました。
またいつか題材に困ったときはここから出題しよう。

今回の言葉はとても重要で、若いうちに理解しておくと、大きくなったときに本当の意味での革命家になれるはず。

それは教育によっては得られないものです。自分が主体となって、いつのときにも学ぶ姿勢を保つことができれば、それは可能だとクリシュナムルティは言います。



「学生の務めは学ぶことだけです。昔スペインに、ゴヤという高名な画家がいました。彼は最大の画家の一人でしたが、本当に老人になった時、一枚の絵の下に『私は今でも学んでいる』と書いています。君は本からも学べます。しかし、それではあまり遠くには行けません。本はただ著者の言いたいことだけを伝えます。しかし、自覚によって生まれる学びには制限がありません。なぜなら、君はあらゆるものに学んでいるからです。自らの自覚によって学ぶとは、どのように聴くのか、どのように観察するのかを知ることなので、教えてくれる人は特にいないのです。学んでいるかぎり教師はいないのです。風に飛ばされた木の葉、河岸での水のささやき、空の高みでの鳥の飛翔、重荷を持って歩いてゆく貧しい人、生についてあらゆることを知っていると考える人たち、君はそのすべてに学んでいます。そのために、教師もいないし、君は弟子ではないのです。」


ということで、まずは今回の課題文の中でも、個人的にグググイッときた言葉を紹介します。







「幸せはそのために努力しているとき、来ないのです。ごく簡単に言いましたが、それが最大の秘密です。単純なわずかな言葉で言えるのです。しかし、私の言葉を聴いて、聴いた言葉を反復するだけでは、幸せにはなれないでしょう。幸せは不思議です。求めていなときに来るからです。幸せになろうと努力していないとき、そこにはありのままの清らかさ、美しさから生まれた幸せが、意外にも神秘的にあるのです。」  (J・クリシュナムルティ


先月から時折、「幸せがあるところ」について考えていました。といっても、それについては先の大震災の時にも皆が痛いほどに実感したことだと思います。

これは前にも書いたことがありますが、アルピニストの野口さんが雪山で死にそうになったときに走馬灯で見たのは、我が子が歯磨きをする後姿。

強烈な出来事は記憶に刻み込まれるということは誰もが知るところですが、走馬灯に至ってはその逆で、些細な日常の記憶が蘇ってくる。実はそこにこそ真の幸せの姿があるんだと。

走馬灯は自分が死ぬ直前の映像だけど、僕が今回考えていたのは、身近にあった生命がなくなったときにもそんな映像は見てるんじゃないかということ。

僕は最近まで身近な人を亡くした経験がなかったので、死というものを理解できておらず、はたして自分は身近な命を失った時に本当に悲しくなるのか、とか思っていたのだけど飼い犬が死んだ時は人生で一番泣いた。


ちなみに2番目は、小学4年生の時にやんちゃな友達(後にあちらの世界でご活躍される)と遊んでいた際に門限を大幅に破ってしまい、それに激怒した母親が罰として、当時住んでいた借家の汚くて狭くて幽霊がいそうな物置小屋に閉じ込めようと足を持って引きずり回されたときです。それ以来僕は門限を破れない子になりました。


話を戻して、飼い犬が死んだときに何を見て泣いたのかというと、共に過ごした何気ない常でした・・・そんなことを思い返していたらその日の夜に夢に出てきまして、なぜだかゴルフボールくらいの梅干しを飲み込んで、そして吐き出していました。僕自身そんな光景を見るのは人生で初めてだったのでとても印象に残っていて、目が覚めた後も鮮明に憶えていたので、こんな意味のない光景を見せられるってことはもしかして何かのお告げなんじゃないかと思って、


“犬 梅干し”


で検索してみたんですよ。

そしたら普通に「食べさせてはいけないもの」だったんです。


犬については以上です。


実は今年の年明けに祖母を亡くしたのですが、その時に見えたのも、祖母と過ごした何気ない日常でした。2人でこたつに入って晩御飯を食べている場面や、ただ僕の名前を呼んでくれているとき(呼び方に特徴がある)の場面とか。子どもの頃の僕は、祖母に会うときはいつもおこずかいをくれるからそれが楽しみだったけど、当然そんな場面は一度も出てこなかったわけです。
命を失ったときに泣くという行為は、ただ単に悲しいから泣くのではなく、幸せがあったと分かったから泣くということなんですね。

幸せって、得ようと思っても得られないし、与えようと思っても与えられない、不思議なものだったんですね。



では

3月の作品を。

「世界で起きていることは、私たち一人一人の中で起きていることの投影です。

欲張りで、独占したがり、嫉妬し、人々を非難する・・・」






































☆お知らせ☆

来月から夏休みに入るまでは恒例となった『毎日児童生徒硬筆展』の課題の練習に入る予定です。

これはお祭りですので全員参加していただけると僕は幸せです。


そして硬筆展の特訓が終わった後は、夏休みの書写の宿題の特訓が始まります。

よろしくお願いいたします。