ただしくすわる

生活様式の変化によって正座をすることがほんとうに少なくなっている昨今。

稽古をしている時でも10分も正座ができない人のなんと多いことか。

一昔前までは、正座をすると足が短くなる(伸びない)とか、バレエをしている人は正座をしてはいけないとか、欧米人の足が長いのは正座をする文化がないからだとか、そんなデマ情報が出回っていましたよね・・・・いや、今でもそう信じている人が多いような気がします。

最近は肩こりや腰痛のある子供が増えているらしいですが、子供のころから正座をしておくと体の歪みもなくなるし、歪みによって発症する肩こりや腰痛も防ぐことができるそうです。

でもやりすぎは膝を痛める恐れがあるので禁物。体と相談しながら行ってください。

 

というのも、20代後半くらいの時に筆を扱う技術の未熟さに腹が立って「毎日3時間正座をして書く」という試練を課していた時があったのですが、一週間ぐらい経ったある日の風呂上りに左膝だけパンパンに腫れて曲がらなくなったことがありまして、結果その試練の前に膝を屈することになったわけです。膝だけに。

 

その時は整骨院で電気治療してもらい治しましたが、重心はできるだけ正中線に位置付けるよう気を付けてください。かかとの真上にお尻を乗せるよりも土踏まずにお尻をはめ込むようにし親指同士を重ねる座り方だと痺れにくい。普段から意識して徐々に慣らしていけば長時間座れるようになりますが膝に爆弾を抱えている人はやらないように。

 

 

 

昭和6年野口晴哉は椅子に座ることを良しとし正座の習慣を忘れつつある日本人の増加を嘆いています。

椅子は西洋の物質文明を表しています。物質文明が精神文明に影響を及ぼすということは文明開化によって明らかになりました明治維新以降に生まれたのが「和魂洋才」という思想なのですが、洋才を迎合するあまり基盤となるはずの「和魂」が失われ「洋魂洋才」になりつつあるのが現在の日本。

民族によって思想は異なるもので、それは身体性がそもそも違うから。

元来日本人という民族に備わっている身体性があり、そこから日本の思想が生まれてきました。たとえば武士道もそうなんですが、そうやって体系化されて「型」として継承されてきたものが明治期以降失われ始めます(正座もひとつの型といえる)。

異文化の影響を受けると当然失うものが出てくるもので、『武士道』の著者である新渡戸稲造は欧州の科学的教育を通じて霊性を失ってしまったと云っています。

 

そういった流れはやがて大河となり国に危機を及ぼすと野口晴哉は以下のように綴っています。

難しく考えなくてもこれを識ることで正座の質がより豊かになるかと思われますので是非ご一読を。

簡単にできる精神修養法のひとつとして「正座」を今一度見直す機会となれば幸いです。

 

 

 

 

正しく座すべし

 

正座は日本固有の美風なり。

正座すれば心気自づから丹田に凝り、我、神と偕(とも)に在るの念起る。

正座は正心の現はれなり。

正座とは下半身に力を集め、腹腰の力、中心に一致するを云ふ。

下半身屈する時は上半身は伸ぶ。

上半身柔らげば五臓六腑は正しく働くなり。

正座せば頭寒にして足熱なり。

正座する時は腰強く、腹太くなるなり。

 

婦人にして倚座(いざ)を為すものは難産となり、青年にして倚座を為すものは、

智進みて意弱く、智能(よく)腹に入らず頭に止まるのみ。

頭で考へ、行ふ時は思考皮相となり、軽佻(けいちょう)となるべし。

倚座は腰冷ゆるなり。脳に上気充血し易し。正座して学ばざれば学問身につかず、

脳の活動鈍くして早く疲るるなり。

須らく倚座を排して正座すべし。

倚座は腰を高くし且つ浮かすを以て、腹腰共に力籠らず。上半身屈み易く、

内臓器官圧迫さるるなり。

 

アグラをかくべからず。アグラは胡座と書き、胡人即ち「えびす」の座り方なり。

日本固有の座り方に非ず。平安朝時代の公卿の座姿を見よ。なんとその胡座に

似たることよ、これ彼等の腰の弱かりし所以なり。

日本人たるもの腰抜けたるべからず。胡座は下半身を苦しめず上半身を苦しむ、

これその正しからざる所以なり。

横座りはゴマカシなり、胡座は横着なり。

 

 

正座は正心正体を作る、正しく座すべし。

中心力自づから充実し、健康現はれ、全生の道開かる。

日本人にして正座を忘るるもの頗(すこぶ)る多し。思想の日に日に浅薄軽佻(せんぱくけいちょう)となり行くは、腹腰に力入らざるが故なり。

 

※浅薄軽佻・・・信念が無く他に動かされやすい

 

 

物質文明上、西洋を追求すること急にして、知らず識らず精神的文明上、固有の美を失いつつあり。

兎角、一般に自堕落となり、浮調子に傾きつつあり。これ腹力無きが故なり、腰弱きが故なり。

此の時、吾人の正座を説き、正座を勧るは、事小に以て実は決して小なるものに非ざるなり。

 

腹、力充実せず、頭脳のみ発達するものも如何すべき。

理屈を云いつつ罹病して苦悩せるもの頗る多し。

智に捉はれ情正しからず、意弱くして、専ら名奔利走(めいほんりそう)せいるものの如何に多きぞ。

先進文明国の糟粕を嘗め、余毒を啜りて、知らず識らず亡国の域に近づきつつあるを悟らざるか。

危うい哉、今や日本の危機なり。

始めは一寸の流れも、終ひに江海に入るべし、病膏肓(こうこう)に入らば如何ともすべからず。

然れども、道は近きにあり。

諸君が正しく座することによって危機自ずから去るべし。

語を寄す、日本人諸君、正しく座するべし。

これ容易にしてその意義頗る重大なる修養の法なり。

 

※名奔利走・・・名誉や利益を求めて走り回る