成功する方法とは

ご報告が遅れましたが、昨年参加してもらった、平成最後の毎日書道学会 書き初めコンクールの結果ですが、6年生が栄えある高松市教育長賞をいただきました。おめでとうございました。

実は、この書き初めコンクールから作品の作り方を変えまして、小学校で行われている競書会と同じ清書方式でやることにしました。

これまでは、”作品提出の締切り日までにできた清書作品”の中で最も良い作品を出品していたのですが、このやり方ってあまり意味がないのではと思い急遽、競書会方式に変えてしまいました。

極端な話、1回目の清書と1か月練習を積み重ねた後の清書を比べて、1回目のものが上手ければそれを出品するというのが今までのやり方でした。どこの教室もこの方法で出品していると思います。

小学校で行われる競書会では、一般的な試験と同じで本番に向けて約1か月間毎日練習を重ねます。そして本番の日に学校の教室で清書用の半紙を3枚を与えられ、その中で最も出来が良いものを出品するという方式です。なので清書ができるのはたったの3回ということになります。

いうまでもなく、本番までにいかに練習を積み重ねてきたかが重要になりますし、本番当日にはその日の「運」も存在します。体調には日々変化していて毎日が同じ調子ではないので、当然いつも同じように書けること決してありません。なので本番の日にたまたま調子が良いときが当たるかどうかも運です。

 

私たちは運の要素を小さく見がちで、この世界は実力よりも運によって決まることのほうが多いといわれています。いかなる勝負も、「すべてが実力で決まる」と思っていたらそれは間違っていて、人は運を実力だと思う思考の錯覚を持っています。僕は20代のころにある展覧会で最高賞である大賞をいただいたことがあるのですが、まさにこの時、実力で勝ち取ったぞ、と思っていました。めちゃくちゃダサいですね。単に運が良かっただけのことなのに。とにかく実力は絶対に運を越えられません。だからといって、うまくいかないとなんでも運が悪いと嘆いてばかりだと運に見放され、実力も衰えていきます。実力を育む方法、それは成功確率を上げることです。

「失敗は成功のもと」から「成功は成功のもと」へと、とにかく何回も挑戦して失敗よりも成功を増やしていくこと。

もちろん「失敗」はするべきものです。挑戦するからたくさん失敗する。当たり前です。でもそれがよしとされるのは最初だけであって、いつまでも同じ失敗を繰り返していては成長しません。成功するにはとにかく試行回数を増やすことです。思考しながら試行を繰り返すことです。これを継続することにより成功する可能性は確実に上がります。

これが技術力を上げる唯一の方法。この「技術力」と「才能(生まれつきあるかどうかも運)」を合わせたものが「実力」になります。

才能がないと思っている人はこの言葉を思い出しましょう。

「1%の才能と99%の努力」 byイチロー選手

 

そういえば先日、「上達しない人の3つの特徴」を書きましたが、一番大切なことを書くのを忘れていました。

次の使わない方が良い3つの言葉です。

 

  • わからない
  • むずかしい
  • できない

子供がこの言葉を覚えると多用しだしますよね。

いや、大人の方がよく言っているような気もしますね。1本の線を書く度に「ムズカシイ、ムズカシイ」と呪文のように繰り返しています。そんな大人を見て子供も無意識に言うようになるんでしょうか。

これらの言葉を使うと思考が止まり、次に、脳ができない理由を自動的に探し出そうとします。努力もせずにこの言葉を使う人は、僕を含めほんとうに多いですね。でも使わない子たちもいるんですよ。黙々と書くことに向き合っている人が。ほんとうに尊敬します。

難しい、できないと悩む暇があったら試行回数を増やしたほうが成功確率は上がりますからね。

 

確率は上がりますが、努力し続ければ結果として成功もついてくるというのは100%約束できるものではありません。どんなに頑張ってもできないことは誰にでもたくさんあります。でも、成功しなかったとしても成長は必ずできます。1ミリでも成長できればそれでOK。それは自分自身のことだけじゃなくても良くて、だれかを助ける、サポートすることでもいい。失敗している人のことを励ましたり、上手くいくよう手助けしてあげることだって成長に繋がります。そういったことを積み重ねていけば可能性は無限大に広がります。

 

と、ここまでいろんな「○○力」が出てきましたが、結局のところどれが重要かといえば、「わからない、むずかしい、できない」という言葉を使わない習慣を身に付け、それを持続しながら前向きにやり抜いていく「継続力」こそが、自信形成につながる唯一の道であり、失敗を成功に変えられる方法ということになるのではないでしょうか。

 

そして、諦めるという道もあって、そこへ向かうと、終わり、になります。