令和時代の生き方

 

やはり平成最後にこれを書いておこうと思います。一応、字を書く仕事をしているので。

ご存知の通り、「令」、「和」という漢字も中国のから持ち込まれたものです。ですので、もともとは日本語ではなく漢語(中国語)ということになります。

 

この「和」という漢字が日本で概念化されたのは、渡来人である聖徳太子儒教道教に影響を与えた仏教思想を取り入れた十七条の憲法の中で、「為貴以(和を以て貴しと為す)」と説いたとろから。仏教が日本に入ってきたのはこの時でした。

入ってきたのですが、実はすでに日本人は仏教に似た思想を持っていて、それは、あの1万年以上も平和が続いたといわれる縄文時代における縄文人の、「自然と他者との共生」という思想がまさにそれでした。渡来人は、武器を持たず戦争もしなかった寛容な縄文人の血を受け継ぎ、和を尊ぶ精神を持っていた日本人に驚いて尊敬の念を抱いたといいます。それは渡来する以前に日本を「倭国(「倭」には卑下する意味ある)」と呼んでいた彼らが、やがて「和国」に直したということから明らかです。そして、和食といえば日本の食べ物、というように「和=日本」と表されるようになりました。

関係ないですが現在では仏教の本家本元のインドと中国では仏教はきれいになくなっています。

 

元号が発表された当初、この漢字に対して「冷たいイメージ」という感想が少なからずあったようですが、それぞれの漢字の成り立ちから見ると全く見当はずれなイメージであることがわかります。

 

まず「和」という漢字の成り立ちですが、「禾」と「口」に分けてみますと

「禾」は、軍門(戦場における陣営の門)に立てる木の標識で、「口」は、祝詞(神に誓う言葉)をいれる器。これらを合わせると、「平和を誓う行い」という意になります。

和食には「和え物」という複数の食材を和えて馴染ませ、溶け合わせて一つにする料理があります。このときに決して熱い状態の食材は使いません。これと同じように熱くなった人間同士がぶつかる戦争においては解け合うことはありません。緩和するには冷静さをもたなければならない。こういった意味で「令和」を「冷静にさせて和ませる」と読むのならいいのかもしれません。この先に戦争が起こったときにその役目を日本が担うという予言もあるようですから。

 

 

つづいて、「令」ですが実際に篆書体で書いてみました。

左側が「令」、右側が「命」です。

これらはもともと同じ意味として使われていました。

 

 

辞書にも「令」の項に「命」があります。

 

「令」は、礼帽を被った人間がひざまずいて神意を聴いている、という姿勢を表しています。

「命」は、「令」の中に「口(祝詞を受ける器)」があります。

 

日本には神道で使われている「惟神(かんながら)」という言葉があります。

この言葉は、神社で祝詞を上げるときによく出てきますが、「神の思し召しままに、神意のままに」という意味で、古来より日本人は山や海などの自然には神が宿るといった自然崇拝の思想を持ち、自然災害さえも神意と捉え、ありのままに受け入れ自然とともに生きてきました。これが日本人の心の本質といえます。

 

そういったことをふまえて新元号を改めて解釈してみると、「神のいいつけを聴き、この世を和する日本」という希望に満ちたものであるといえます。

そして、美しく、時には厳しい自然環境の中、今後急速にパラダイムシフトしていく中においても、守っていかなければいけない日本人としての生き方、感じ方を重んじる時代になるというか、そうしていくという強い意志が込められた元号でもあるといえるのではないでしょうか。

怠け者で意志の強くない僕ですが、新たな日本の幕開けを機に生き方を変えていけるよう精進して参りたいと思います。